沖縄基地引き取り論の衝撃

2024年7月30日(火)
最近、あるセミナーにzoom参加しました。そこで紹介された中の一つに「沖縄基地引き取り論」がありました。この論に、そしてそれを主張し実践したいと考え活動している人たちがいるということに私は大きな衝撃を受けました。

現在日本国内にある米軍基地のうちその70%が沖縄に集中していることは皆さんご存知のことと思います。そこで起きている数々の問題もよくニュースで報道されます。普天間から辺野古への基地移設の話しも延々と取り上げられております。こうした沖縄にある米軍基地を日本本土に引き取りましょうという論、これが「沖縄基地引き取り論」です。一見すると、日本国内では(沖縄県民以外の)誰からの賛同も得られない、無謀で荒唐無稽な論に聞こえます。

この論の背景は、詳細は省きますが、、、

今でこそ米軍基地は沖縄に固有のものという感覚を多くの日本人は持っているものと思いますが、戦後すぐの1950年前後は、実は日本国内の米軍基地の90%は本土側にあり、沖縄には10%しかありませんでした。その後日米政府間の協議の中で徐々に本土から沖縄へ、米軍の基地機能が移設され現在の状況が生まれました。この状況は実は戦後の歴史の中で我々が自ら作り出した歴史的産物だったわけです。(決して中国大陸を意識した軍事的な理由からなどではありません。) 一方で今の日本では国民の80%が日米安保条約に賛同しているとのこと。それは日本の安全を守るため、またある意味で戦争をしない、軍事大国にはならない平和国家日本であり続けるためという意識からだと思います。

「沖縄基地引き取り論」は、そこに存在する矛盾と幻想を正面から素直に突くものでした。米軍基地機能を営々と本土から沖縄に移し替え、そして移し替えてきたことを忘れ、沖縄県民の思いにふたをしたまま、安全保障だ、平和国家だという意識が蔓延する、そこに隠れている、あるいは敢えて口に出すことを意識的・無意識的に避けている我々の、沖縄への差別意識。一人一人の「倫理観」に立ち返った場合の原点としての議論が「沖縄基地引き取り論」であり、あるいは日米安保に賛同するならば米軍基地を自らの地元に、本土に引き取っても構わないという「責任感」を伴うはずだという、いわば当たり前の議論、これが「沖縄基地引き取り論」でした。そもそも米軍基地は沖縄からも本土からも無くそうよという平和へのアプローチ、こうした動きも大事だが、まずは現実起きている、我々が作り出した沖縄への差別を解消する、つまりは基地を本土へ引き取るという態度の表明と実践が先ではないか、それが平和希求の道への参加資格ではないかというものです。

経済的動機でもない、政治的動機でもない、けっして簡単にみんなから拍手喝采されるわけでもない、それこそ「周りの空気を読まない」論ですが、そこにある「倫理観」、「責任感」の原点のような話しには、安易に反論することのできない強烈な力強さがあり、圧倒されました。同時にそれは、ポジショナリティの概念を使ってのアプローチを含むものであり、他者の立場、特にマイノリティの立場から見ての物事の把握と思考の整理が行われ、社会的に確立された常識や権力からの解放という心地良さもありました。

各地のNPOの活動に関わっている方々には、それぞれの分野で、似たような思い、あるいは似たような場面に遭遇することもあるのではないでしょうか。

「沖縄基地引き取り論」が、日本国内で損得勘定を抜きにして受け入れられる日、もしそうした日が来るとすれば、その日は、格差や差別やジェンダーや地球環境といった、現在の状況に縛り付けられている様々な問題も解決へ向かう日なのかもしれません。

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