多様性をはばむ権力と秩序

2025年9月5日(金)
トランプ政権は発足当初から明確にDEI(Diversity=多様性、Equity=公平性、Inclusion=包括性)を否定し、性別も男性と女性の2つのみを認めるという政策を取っております。日本でも選択的夫婦別姓の導入の話しが、保守派の政治勢力に阻まれ一向に進展しません。強制ではなく「選択的」であってもです。こうした政策や政治判断は主に社会の伝統的価値観を守るという理由から説明されますが、どこまで本当にそうなのでしょうか? (ちなみに伝統的価値観というのが、家父長制、男尊女卑、男の役割・女の役割、特定マイノリティの排除・統制、自己責任、企業の生産性重視(=反DEI)などを重視するということを言うのであれば、そもそも守る必要すら無いとも思いますが。)

権力が多様性を阻もうとする本当の理由について、私は、社会に多様性がもたらされたり、その結果として社会のあり方に一部変革が生じてきたりした場合に、国を治める側(権力)としては統治がしづらくなるからではないかと考えております。多様性を受け入れるということは一人一人の自由度が増すということでしょうから、それは今まで統治する側(権力の側)が用意してきた社会の枠組みに、実際の社会が収まり切れなくなるということです。例えば世の中には男と女という2つの性しかないという前提で組み立てられていたこれまでの社会の仕組みでは、社会に現われて来る多様な性を受け止めることはできません。ジェンダーの観点に限らず、国籍、民族や文化、言語、障がい者、出身経歴、職業、所得や資産の多寡、病歴、その他さまざまな観点から、社会の変化にも伴い、常にどこにでも新たなマイノリティが生じてくる可能性はあります。そのマイノリティを社会が全体として受け入れられるように仕組みを変えていくには、手間も掛かればコストも掛かります。しかももし失敗すると非難されるのは権力の側です。だから権力の側は多様性への対応については二の足を踏むのでしょう。そして人々をこれまでの社会に根付いてきた固定観念の中に押し込めて、その中で生きることを「秩序」と称して強制するのでしょう。まさにDEIの否定です。

国に限らず企業経営者についてもその企業を統治するという意味では権力です。あるいは家父長的な色彩の濃い家庭や親戚縁者の中で生活している場合があるとすると、そこでの家父長の役割を担っている父親も一つの権力です。子どもたちを率いる大人、弱いものを率いる強いものなど、相手に有無を言わさず日常のものごとを少数者の意思だけで決めているケースも、権力と言えるかもしれません。我々の日常にはさまざまなレベルにおける大小さまざまな権力(他人に強制する力)が存在しています。

そうした権力が唱える「秩序」とは、伝統的価値観という美名で語られる思想や精神に基づくものではなく、実は「権力の側」、そして「権力に連なり既得権を得ることで利益を得ている側」の自己の立場の維持(保身)でしかない「我がまま」であるというケースも社会には多々あるように思います。それは「権力の側」のリーダーとしての資質の不足でもあり、怠慢でもあります。本来社会とは、国であれ、企業であれ、家庭であれ、一人一人の「自由」な意思が重なり合いながら組み立てられていくはずのものです。すると社会の仕組みは常に変化していくことになります。社会の中では権力も権力者もその形や人を常に変えながら将来へとつなげていくというのが、本来の正常な社会であると言えるのかもしれません。

※ ここで言う「自由」とは個人にとっての「実際的な選択肢の多さ」であるとイメージしています。その「自由」が誰にでも与えられていることで、「自由の平等」が生まれます。そして異なる立場や状況にある他者の「自由」も成り立たせ、受け入れる、それが「多様性」だと思います。(国でも、企業でも、家庭でも、さまざまな集団においてでもです。)

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