土葬
2025年11月25日(火)
最近は大分や宮城の事例など、日本在住のイスラム教徒による土葬墓地の開発計画が話題となり(実行へ向けては行政による許可が必要です)、時にはそれへの対応が地方選挙の争点となることもあるようです。そしてそれらの選挙状況やSNSでの反応などを見ていると、土葬墓地の開発については反対の意思表示の方が多いように見えてきます。主な反対理由は、 (1) 衛生面や感染症のリスク (2) 土地の利用効率 (3) 文化的背景とタブー(心理的な反発) にあるようです。
まず、(1)の衛生面や感染症のリスクとは、土葬された死体が分解される過程でバクテリアやウィルスが発生し、土壌や地下水を汚染するというものです。しかし実際には現代の土葬においては、専用の棺に納めたうえで土葬したりするなど管理をしっかり行うことで、環境汚染が発生したり感染症が拡大したりするリスクは極めて低く抑えられているようです。
次に、(2)の土地の利用効率ですが、土葬墓地は火葬墓地よりも広い土地面積を必要とすることになります。しかしだからこそ行政が許可エリアを指定するという仕組みが生きてきます。
そして最も大事な話しとして残るのが、(3)の文化的背景とタブー(心理的な反発)です。SNSでは過激とも思えるような、「土葬も含めたイスラム文化」自体に対する反対投稿を目にすることもあります。しかしここは良く考えないといけないところではないでしょうか。
今でこそ日本は99.9%が火葬を行っています。こうした国は世界でも珍しいようです。しかし火葬は日本の伝統文化でも何でもなく、明治期までは土葬が主流でした。明治に入りコレラが流行ったことで明治政府が土葬を禁止し、徐々に火葬に移行していったようです。ちなみにコレラ収束には上下水道インフラや衛生環境整備が有効であったとのことで、火葬移行での効果は限定的だったようです。その後、戦後になってからも1960年代までは普通に土葬も行われており、土葬が日本の文化・習慣に反するという主張は、我々がつい最近までの自身の歴史を忘れてしまっただけの話しに思えます。
また最近の論調では「土葬」=「イスラム教」といったイメージで語られることが多いような気がしますが、土葬文化があるのはキリスト教も同じです。カトリックは「肉体の復活を否定するもの」としてそもそも火葬を禁止してきました。1960年代にバチカン公会議で火葬が容認されたことで、最近は火葬を選択するカトリック信者も増えてきました。プロテスタントは地域の慣習に合わせて、土葬へも火葬へも柔軟に対応してきました。こうした宗教的背景があり、現在のアメリカでの火葬の割合は60%ほどだそうです。(土葬が40%)
以上はまだ簡単な考察でしかありませんが、それでも、日本(人)=火葬(文化)という「勘違い」にこだわり、イスラム教徒による日本国内での土葬の希望を拒絶するというような心情の広がりは、日本を、日本人にも外国人にも、みんなにとって暮らしにくい社会にするのではないかという気がして仕方ありません。さらに言うと、例えばもしアメリカ人(西洋人)を中心とする団体が日本国内での土葬を希望したとすると、(アメリカや西洋好きの?)多くの日本人たちは、SNSでの過激な表現も含めて、強い拒絶はしないのではないかと想像したりもします。先進国(アメリカ、西洋)から来た人と、途上国(アジア、アフリカ、中南米)から来た人に対する我々が向けるまなざしには、違いがあるのではないでしょうか?
私は、「日本文化」を声高に唱えそこにしがみつくよりも、日本あるいは我々が身の回りで自分に近しいものにだけこだわるのではない、違いを超えた「共生社会」を実現していった方が、みんなが暮らしやすい社会になるのではないかと考えるものの一人です。その「共生社会」とはどういったものか、今一人一人がしっかりと考える時に来ているように思います。
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