国旗損壊罪
2026年2月23日(月)
最近、「国旗損壊罪」という言葉をテレビやネットで見かけることも増えてまいりました。「国旗損壊罪」とは、日本の国旗(日の丸)を物理的に損壊した場合に何らかの刑罰を科すことを目的とした法律(現状は案)のことで、2026年通常国会に与党側から法案として提出される方針にあるようです。日本では、外国の国旗を損壊した場合には「外国国章損壊等罪」として罪に問われるのに、自国の国旗を損壊した場合にそれを罪に問う法律がないのはおかしいではないか(不公平ではないか)というのが、高市さんや日本維新の会など、保守政治家の持論です。
私はこの話し、実に幼稚な議論だと考えます。外国国章を侮辱目的で損壊することは外交上も問題を引き起こしかねず、第三者である外国の国章を侮辱・損壊した自国民を国家が罪に問うということは、第三者の名誉(尊厳)を傷つけることは慎みましょうという「礼儀」として社会通念上もあってしかるべき法律です。だからこそこの「外国国章損壊等罪」とは、対象となる外国政府からの請求があって初めて日本国内で公訴できるという仕組みになっており、罪に問う問わないを直接の当事者でもない日本政府だけで判断できるものではありません。一方、自国の国旗を損壊することに対して「国旗損壊罪」を設けるという話しは、国家(日本政府)と国民という互いに向き合っている当事者間で、国家が国民に対し、「俺の名誉を傷つけることは許さないぞ」と始めから脅しているようなものであり、第三者(外国)の尊厳をおもんばかるという話しとは性格を異にしております。当事者(国家)が自分をもっと尊重しろと、もう一方の当事者(国民)に強制すること、これは社会通念上求められる「礼儀」ではなく、力を持つ者による、相手方に対する「統制」の一つです。「国民たるもの、このように立ち居ふるまうべきである」という、国家による国民に対する強制です。従って私は、「外国国章損壊等罪」があるのに「国旗損壊罪」がないのは不公平だといった次元でこの法案を論じることは、思慮の足りない無責任な議論であると思います。
そもそも日の丸という国旗に対する一般的な国民感情、それはまあ別に好きでも嫌いでもない、たまにオリンピックで誰かがメダルを取ったときや、何かのイベントで目にするなあ、ぐらいのものではないでしょうか。昭和の時代は、お正月や国民の祝日には各家々が玄関先に日の丸を掲げたり、自家用車の前方バンパーに日の丸の小旗を付けたりなどしたものですが、それも戦前の大日本帝国時代の感覚のなごりで、今はそんな「かっこ悪い」と思われることを敢えてする人はほとんど見かけません。別にそれで良いのではないでしょうか。日の丸なんてその程度のものです。
だから逆に、そんなたいして意味をなさない日の丸にわざわざ八つ当たりして日の丸を損壊するなどという事件もほとんど聞いたことはありません。昨年の参院選で參政党がやたらと無節操な形で「日本人ファースト」などとトランプさんを真似した選挙戦術を展開したことから、それに異を唱えようとしたある若者が日の丸の上からXを書いて選挙演説会場に現われたため、それを逆に利用したのか(?)參政党の神谷さんが「国旗損壊罪」を唱え始め、そこであらためて火がついて高市さんや日本維新の会などが声高に言い出した、そんな経緯なのではないかと思います。逆に岩屋さん(自民党の元外務大臣)などは、立法事実がない、つまり「国旗損壊罪」の法令化の必要性や合理性を裏付ける社会的事実はないと言っています。現状は、誰か国民が日の丸を損壊するといった社会的現象があちらこちらで起きているわけではないので、社会がそれを規制する法律を必要とはしていないということです。日の丸なんて誰も気にして生活していないから、敢えて損壊するなどという面倒くさいことを誰もやらない、従って「国旗損壊罪」などという余計な法律を作る必要性は全くないということです。
それがいつの間にか「国旗損壊罪」という法案として国会で審議するといった話しに飛躍していくというのは、日の丸に対して「日本人としての精神性」という何らかのナラティブを持ち込もうとしているからではないでしょうか。それでは余りにも話しが強引すぎます。日の丸とは、昔、源氏などの武士が戦場で用いた旗の一つが日の丸であったというだけのもの、そしてそれから時代は過ぎて1870年(明治3年)に明治新政府が日の丸を国旗として定めたというだけのものです。明治新政府=江戸時代末期に勝てば維新の偉人、負ければただのテロリストという激しい武力闘争(けんか)を、たまたま勝ち抜いた血気盛んな大久保利通や伊藤博文などの若者が、先のことも分からない中、とにかく世界に対して近代新国家として形だけでも作っていく(見栄を張る)ために国旗が必要だったのでしょう。その後日本が近代軍事国家化していく中で日の丸が利用され、何だか「精神性」なるものが軍人により軍人に都合の良いように吹聴されただけのもので、それは1945年に日本が敗戦するまでたかだか70年程度の間、日本中を席捲した「当時の権力者のための精神性」です。そんな「精神性」は日本の庶民の伝統でも文化でも何でもありません。むしろ二度と呼び覚ましてはならないものです。
高市さんも維新の会も神谷さんも、日の丸が傷つけられるという妄想は(立法事実が存在しないので敢えて「妄想」と書きますが)、自分自身の政策や政治姿勢が批判されているようで耐えられないという、単に個人的な心情に根差している話しではないでしょうか。その自信のなさの裏返しとして逆に国民に対する権力者としての「統制」を強めようとする姿です。あるいは保守票を掘り起こすといった自分にとっての収益(打算)のための政策提言でしょうか。いずれにしても世の中に対する合理性もなくそのような主張を声高に唱えるということは、政治家としての質の劣化です。
最後に、既に今となっては今さら感があるのですが、やはりテレビ・マスコミには選挙期間中にこうした話しを政党間の議論のテーマとしてもっと取り上げてもらいたかったと思います。そうしたことも分かったうえで国民が投票するというプロセスにしていかなければ、選挙の質も落ちてしまいます。だからこそ選挙とは本来はそれなりに十分な時間を取って行われるべきもので、その中で各党が自由にさまざまなテーマや具体的な政策を討論して国民がそれを見て考えるという機会にしていく必要があるのだと思います。
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